毎日 神様が何を望まれているのか
知りたくありませんか。
私たちが毎日をどのような動機で過ごしているか、考えてみましょう。
今日やらなくてはいけないことは、これとこれとこれで、と考えていくのが一般的です。
To Do Listにあげていって出来たらチェックしていきます。その日を終わるにあたって、やることが出来ていればOKとなるのです。
スーパーでパンを買って、ガソリンを入れて、この仕事を仕上げて、食事を作って、、、、
このような考え方は、結果志向の考え方といいます。
これに対して、プロセス志向という考え方があります。
物事の達成よりもそれをどのように行うかを重視する考え方です
皿洗いをする、という行為をとっても、歌を歌いながら楽しくやるのか、まだこんなにある、毎日毎日、何でこんなことをやらないといけないのだろうと思うながらやるというのは大分違いますね。
神の御心を考えるときでも,結果志向で私たちは考えがちです。
教会に行って、聖書を読んで、祈りをして、、、あの人に連絡をして、、、これらが出来れば大丈夫となるのです。しかしそんな私たちの生活はどこか満ち足りません。
オズワルド チェンバーズ、という人が有名な”My Utmost for His Highest”
という書物を書いていますが、その中に興味深いものがあります。
マルコによる福音書6:45-51が聖書の箇所です。
イエス様は5000人の空腹をパンと魚の奇跡によって満たした後、弟子たちに、船に乗って湖の向こう岸に行くよう指示されます。そして自らは群集を解散させます。
向こう岸に向かっていた弟子たちの船は向かい風のために漕ぎあぐねています。
するとイエス様は湖の上を歩いて、彼らに近づき、そのまま過ぎていかれようとします。弟子たちは幽霊だと思って、大声を上げます。
イエス様はそれを聞いて、言われます。「しっかりしなさい、私だ。恐れることはない」と。
そしてイエス様が乗り込まれると風はやんだのです。
弟子たちは、向こう岸に行くよう指示されたのですが、なかなか着けませんでした。
そして湖の上を歩くというイエス様を目撃することになるのです。
弟子たちは、イエス様に「向こう岸に行っていなさい」といわれ、一生懸命舟を漕いでいました。しかし困難にあっていたのです。
このときのイエス様の願われた事は何だったのでしょうか。弟子たちが向こう岸に着くことだったでしょうか。そうではありません。イエス様に目を向けていることです。そして困ったときにはイエス様に頼むという心構えをしていることです。
弟子たちは向こう岸に向かって漕ぐという行動の中で、イエス様に一緒にいていただくという、もっと大切な基本的な態度を学んだのです。
神様が求められているのは、私たちが設定する目標ではなく、私たちの基本的態度、行動のプロセスなのです。そのプロセスにイエス様を保っておくということなのです。
神さまのために、あなたは何をしようと思っていますか?
神を讃える歌を歌う。聖書の勉強会に参加する。毎日日記を書く。これらはみなよいものではありますが、神にとってそれが出来たかどうかはそれほど大切なことではないのです。
私たちがどのような行いをしていようと、それを行う中で、私たちが神に頼り、神の力に頼っているかということこそ、神の願われることなのです。
困難の中にあって、信仰を保ち、あくまでも神を第一に考え、平安をもっているのであれば、神の御心は達成されているのです。神の御心は、神が水の上を歩んでいるのを私たちが見るということです、
神が奇跡をもたらすことを私たちが経験するということです。そしてそれゆえに、何が起きても、あわてる必要はないと知ることなのです。
今、私たちは神に頼っているでしょうか。水の上を歩んでいる神を見ているでしょうか。
神の目的を実践するというのは、これとこれをしたら、将来それが実現されるというような未来のことではなく、今現在のことなのです。 私たち一人一人の今が問われているのです。
私たちが神に従った後、何が起きるかは私たちが心配することではありません。それを心配するのは間違っているのです。神は、神が私の人生の嵐の上を平然と歩いていてくださるというのを私が見ることが出来るように準備してくださっているのです。
もし私たちが先のゴールだけを見ているのなら、私たちは今の瞬間に十分注意を払っていないということになります。でも瞬間瞬間神に従うことが私たちの目的だと知ったなら、瞬間瞬間がかけがいのないものだということに気づくでしょう。
だからこそパウロは言ったのです。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて感謝しなさい。
これがキリストイエスにあって神があなた方に望んでおられる事です。」1テサロニケ(5:16-18)
「いつも、たえず、すべてのことについて、」ここで言われているのは、みなプロセスの言葉です。
Whatではなく、howを神様は願っておられるのです。
瞬間瞬間を神様は気にしておられます。
この瞬間、神を見て
かけがえのない時を生きたいと思います。