私たちは何を信じて生きているのでしょうか。本当に大切なものをつかんでいるでしょうか。
創世記に書かれているアブラムの旅はそんな私たちに、貴重な助言を与えてくれます。
アブラハムーユダヤ教徒の父と仰がれ、イスラム教での偉大なる預言者としてあがめられ、そしてキリスト教徒の間では信仰の父と呼ばれる彼は、以前アブラムという名前のメソポタミアの住人でした。
彼の父テラは、アブラムとおいのロト、アブラムの妻サライを連れて、当時非常に栄えていたウルを出て、カナンの地に向います。
しかし途中のハランという地に、いついてしまい、カナンへの旅は挫折します。
しかしテラが亡くなり、アブラムが75歳になったとき、神はアブラムに現れます。
「あなたの生まれ故郷、父の家を出て、私の示す土地に行きなさい」と。
アブラムはこの言葉に従い、カナンの地に向かいます。
引越しをするときのことを考えて見ましょう。どのようなところなのか、物価水準はどのくらいなのか、文化的にはどうなのか、私たちはいろいろと調査して、引越しを決定します。
でもカナンの地がどのようになっているか、豊かな土地なのか、すでに住んでいる人がいるのか、彼には皆目見当がつきません。ただ神がここに行きなさいといわれただけなのです。
アブラムは神のこの言葉を握り締め、カナンの土地に到着します。
神の言葉を聞いたとき、「何かが与えられるなら、それを信じよう」というのではないのです。私たちに最初に与えられるのは言葉だけなのです。しかしその言葉を信じて行動を起こすとき、神の祝福が与えられるのです。
カナンのシェケムという土地に着いたアブラムですが、そこにはカナン人がしっかりと住んでいました。アブラムはいかに落胆したことでしょう。
でも神様は私たちを見放されはしません。すぐ後に神は自らを現わされます。
そして「この地をあなたの子孫に与える」と言われるのです。
「間違ってはいなかった。正しい場所に来ていたのだ」、とほっとする反面、「私の子孫に与えられるのであって、私に与えられるのではないのとか」とがっかりもしたでしょう。
それでも周りにいるカナン人のことを考えれば、そんなに簡単にこの地が自分のものとなることはありえないと納得がいったことでしょう。彼は祭壇を築き、神に祈りをささげます。
神は私たちが信仰に基づいて神に従ったとき、自らを示してくださいます。神が自らを示してくださらないと悩んでいるのであれば、まず神に従ってみましょう。
さて、アブラムはそこからべテルとアイの間の丘に移動し、テントを張り、周りの人にあかしをし、説教を始めるのです。
宣教活動の開始です。ここでべテルというのは「神の家」という意味があり、アイというのは「廃墟」という意味です。アブラムは神以外は廃墟と考えることができるようになり、神の家に集中するのです。ところが、そこから南のネゲブへ向かいます。ネゲブというのは「乾燥」という意味の言葉で、砂漠地帯です。
そして飢饉に襲われます。私たちも、神を信じてしばらくすると、乾燥状態に陥ることがあります。
生きているのか生きていないのかわからない状態、潤いのない状態、ただ形のみを追っている状態、、、
困窮したアブラム一族はエジプトに逃げます。しかしこのエジプトというのは、この世の象徴であり、エジプトに逃げるのが最善の方策ではなかったのです。
アブラムは手痛い失敗をしてしまいます。自分の妻サライの美貌のために、自分が殺される危険を察ししたアブラムは、妻サライを自分の妹だと偽って、エジプトに入ります。パロは、予想通り、サライを見つけ、宮廷に召しいれます。そのおかげで、アブラムは報償を得るのですが、神との約束を思い出してください。あなたを偉大な国民としようといわれていました。つまりアブラムとサライの夫婦の子供が増えて、偉大な国ができていくという想定なのですが、サライが宮廷に入ってしまうと、それは不可能になってしまうのです。アブラムは自分の身を守るために、自分の妻を売っただけではなく、神のご計画を台無しにしてしまったのです。
私たちも、つらいとき、この世の慰めに救いを求めてしまいがちです。しかしそれは私たちをさらに苦しい状態に導くだけなのです。神にこそ救いを求めるべきなのです。神は言っておられます。「あなた方の耐えられない試練は与えない。そして逃げ道も必ず与える」と。
試練にあっているときこそ、神により頼みましょう。
神はパロの宮廷に病を起こし、サライとアブラムはエジプトから追い出されます。アブラムに何の危害も加えずにです。神はここで哀れみ深いお方だということを示されたのです。
自分の過ちに気づいたアブラムは元来た道を引き返し、べテルで、悔い改めの祈りを神に祈ります。
アブラムはこの哀れみ深い神を信じ続け、少しづつ信仰を成長させていくのです。
私たちも生活の中で、神の御心に反したことをしてしまうことがあるでしょう。
でも神は哀れみ深いお方です。私たちの犯した失敗のため私たちがどうにもならない状態になってしまったときでも、神は私たちを引き上げてくださいます。
この哀れみ深い神が私たちを見ていてくださる。なんと心強いことでしょう。
この神をしっかりとつかんでいましょう。
1 件のコメント:
ちょっと長いですが、アブラハムもいろいろ成長していくのですね。
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