2009年6月28日日曜日

出会い、そして格闘

ヤコブ ー イサクとレベッカに生まれた双子の一人。
生まれた順番はエサウが最初で、続いてヤコブ。
ヤコブはエサウのかかとをつかんで生まれてきたので、ヤコブとなずけられた.
「かかとをつかむもの」「人を出し抜くもの」。

聖書の創世記に出てくるヤコブは、この名前が示すように、人をだますことを気にすることなく、目的のためには手段を選ばない、冷酷な男。

この双子が生まれるとき、神のお告げが与えられていた。
「一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」と。
レベカは少なくともこの神の言葉を聞いていた。エサウがヤコブに仕えるようになることを知っていた。

この二人が成長し、あるときエサウは腹をすかせて帰ってきた。猟に出る人、エサウに対し、家で料理する人、ヤコブ。
 エサウはスープをくれるなら長子の権利を譲り渡すと、ヤコブに口頭で約束してしまう。
エサウの欲望に負ける性格が見て取れるが、逆にヤコブの長子の権利へのしつこさもみてとれる.. ヤコブは機会を見逃さない。大変頭がいい男なのである。

イサクは年を取り、世代交代の儀式を行おうとする。神のお告げを無視して、エサウを祝福しようとする。ひそかにエサウを呼んで、猟をしてきて、食べさせてくれと頼むが、それを聞いていたレベッカが策略を働かせ、ヤコブにエサウのふりをさせ、イサクから長子の祝福を受ける。

祝福がヤコブに対して行われてしまったことを知ったエサウは激怒して、ヤコブを殺すことをたくらむ。
それを知ったレベカはヤコブを逃がすことを考えるが、ただ逃がすのではなく、ちゃんとした理由をつける。嫁探し、、
ヤコブはレベカの提案を受けて、ベルシェバからイサクの故郷であるハランまで、嫁探しに行く。

1、べテルでの出会い
しかし実際はエサウからの逃亡旅行。その途中、ヤコブは石を枕にして寝る。エサウから早く逃げたい、本当にまずいことをしたという思い、良心の呵責に責めさいなまれる。
石を枕にして寝るという表現は、英語やフランス語のことわざ「There is no pillow so soft as a clear conscience.」(よき良心は、やわらかい枕である。)を考えてみると、よくわかる。ヤコブの良心は大変痛んでいた。だから、枕は本当はやわらかかったとしても、石のように硬く感じられたに違いない。

ヤコブはそこで夢を見る。
はしごが天と地に立てかけられていて、天使たちが上がったり下がったりしている。
これはこのとき、神とヤコブの間に道が開かれたことを示している。

しかし夢だけではない。主が傍らに立っていて、ヤコブに語られるのだ。
―アブラハムイサクの神である。
―この地をあなたとあなたの子孫に与えよう
―子孫は多くなり、すべての種族はあなたによって祝福される
―私はあなたとともにある
―どこに行ってもあなたを守り、この地に連れ戻そう
―約束を果たすまではあなたを捨てない

翌朝、恐れ多い経験をしたことを自覚する。枕にした石をとって、石の柱とし、油を注いだ。そしてそこをべテル(神の家)と呼んだ。

なんと不思議な約束だろう。人を欺いて逃亡中の人間に対し、その罪をとがめることばはどこにもない。
神はヤコブの前に現れてくださり、力づけてくれるのだ。ありえない、、、
でも自分のことを振り返ってみよ。数え切れない罪を犯しているとき、神はそれを非難するために現れただろうか。いや私を救ってくれる神、守ってくださる神として現れたのではないか。
恵みなのである。

またヤコブはここで一人、神と一対一で出合ったのだ。しかも神から訪れてくださったのだ。
今まで神というのは父の神、母の神ではあっても、自分の神ではなかった。ここで、初めてヤコブは自分の神と出会う。神からの恵みである。

主がともにいてくださったのに、私は知らなかった。
このような経験はないだろうか
ともにいてくださり、守ってくださり、必要なものを与えてくださり、父の家に帰らせてくださる、、、
神は私たちと一対一で会ってくださる。


2、ペヌエルでの格闘 
その後ヤコブはハランの地に行き、レイチェルを見つけ、結婚しようとするが、素直には結婚させてもらえない。レイチェルの乳、ラバンは,ヤコブに7年間彼のもとで働くことを要求する。ヤコブはその要求を呑み、7年間働く、しかし7年たってみると、レイチェルの姉リアと結婚させられてしまう。そしてレイチェルと結婚するにはもう7年働かなければならなくなる。さらにラバンの家畜の面倒を見るために6年。通算20年ヤコブはラバンに仕えることになる。

ヤコブは兄が弟に仕えるという神の言葉を聞いてそれがすぐに実現することを期待した。しかしヤコブはラバンに20年間仕えることになった。
ヤコブは長子の権利を得るためにエサウを欺いた。しかしヤコブはレイチェルとの結婚のとき、ラバンに欺かれた。
ヤコブは神の時間を待とうとしなかった。しかしヤコブはラバンの時を待たされることになった。
ヤコブはいろいろな罪を犯してきた。ラバンのもとでその罪の刈り取りをさせられるのである。

そして20年後、ヤコブは富むようになっていく。ラバンとの関係も悪くなってきたころ、神のお告げが再びあって、故郷に帰れといわれる。でもヤコブはちゃんとあいさつをすることなく、ラバンに隠れて、逃げ帰る。あいかわらずのヤコブ。

ラバンから解放されたのはいいが、故郷には、ヤコブの命を狙うエサウがいる
まずヤコブは使者を送って、カナンの地に帰ることを伝え、様子を見る。
しかし400人の兵士を率いてエサウが出てきたことを知り、愕然となる。
ヤコブはヤボクの渡しのところでエサウへの贈り物を先に送り、妻子を先に渡すが、自分だけ残る。ここは死海とガリラヤ湖の間にある渡し場。ここをわたると約束の土地カナンの地に入ることになる境界の場所。
エサウと和解できるのかという恐怖、そして今まで自分のしてきた欺き、その呵責がヤコブをとどまらせる。彼はここで、誰かと格闘する。それはイエスキリスト。
この格闘を経ないとカナンの地、約束された土地に入れない。
格闘は一晩中続く。
ヤコブに勝てないのを知って、その人はヤコブの腿の番をはずし、ヤコブはびっこを引く人となる。
自分で何でもやってきた。ヤコブはここで、自分では何でもできない体となる。

そしてその人はいう。私を去らせよ、夜が明けるから
ヤコブはしかし、言う。「祝福してくださるまでは去らせません。」
それを聞いて、その人はあなたの名はなんだ。という。
ヤコブは自分はヤコブだと答える
すると、神はお前はもうヤコブではない。「イスラエル」だというのである。
「神によって統治される人」、イスラエル。そして祝福を受ける。
求めに求めていた祝福を神から受ける。
神からの祝福、それは私たちに希望を与え、生きる力を与えてくれる。

ヤコブはイエスキリストにびっこにされて、つえなしには歩けなくなった、
しかしその痛みによって、神にいつも寄り頼むことを学ばされる。
「私の弱さのうちに主が働かれる」のである。

ヤコブはその場所をペヌエル(神の顔)と名づけた。神の顔を一対一で見たからである。

神はただ言葉をかけてくださるだけでなく、私たちと格闘してくださるのだ。それだけ私たちの悩み、苦しみに関わってくださるのだ。それだけ親しく接してくださるのだ。

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