ヨセフという人が聖書にでてきます。ヤコブとラケルの子供ですが、その家庭は大変複雑でありました。
母が4人、しかしヤコブが最も愛したのはラケルであり、その最初の子がヨセフでした。したがってヨセフだけ特別の洋服を作ってもらうなど、溺愛されていたのです。
しかしヨセフはヨセフで、溺愛されているのをよいことに、兄弟の悪いうわさをみつけては、父に告げ口するということもするようないわゆる「よいこ」だったのです。
彼はまた夢見るものでもありました。そして自分の見た夢をみなに言いふらします。しかもその夢が周りのものによって自分が礼賛されるという夢でした。当然周りの兄弟からねたまれ、いじめられます。あるとき、とうとうあやうく殺害されかけ、エジプトに奴隷として売りとばされるという羽目に落ちいりました。
兄弟に嫌われて、売り飛ばされてしまったら、どんな気持ちがするでしょう。
自分の不幸を嘆いても不思議はないでしょう。でも、、、文句は言いません。
主が彼とともにおられ、、主が彼のすることすべてを成功させてくださります。
主はヨセフのゆえにこのエジプト人の家を祝福された。
そこで侍従地長にだんだんとりたてられ、すべてを任されるまでになります。
しかし侍従長の妻の誘惑を受けます
しかしそれを断ったために、強姦未遂の罪で、今度は牢獄に入れられることになるのです。
やっと運が向いてきたと思ったら、悪いことを断ったがために、また奈落の底です。
それでもヨセフは自分をさげすむ意識から自分を守ることができました。
39:21 主はヨセフとともにおられたからです。
そこで、また牢獄の管理を任されることになります。
何年もの牢獄生活の後、王が夢を見て、その説きあかしのために、ようやく外に出されます。
王の夢を説き、それを実行するべくエジプトの司となります。
カナンの飢饉でヨセフの兄弟はエジプトに食料を買いに行きます。エジプトで総理大臣となっていたヨセフは自分の身分を明かすことなく。きびしくスパイではないかと問い詰めながら、食料を与えます。
兄弟との話の中で、少しづつ兄弟は自分たちのしたことを悔い改めていきます。
そしてとうとうヨセフは自分の身分を打ち明けるとともに、許しを与えるのです。その理由はこれです。
「あなた方は私に悪を計りましたが、神はそれをよい事のための計らいとなさいました。
それは今日のようにして、多くの人々を生かしておくためです。」
兄たちの悪事を神によって許し、兄のこどもたちを養うことを約束します。
ヨセフは兄弟たちを許します。
ヨセフの兄弟は、謝ります。でも本当に許されたということを実感できません。
本当に悔い改めていなかったからかもしれません。
私たちも似たところがあるのではないでしょうか。
悔い改めはしたつもりになっています。でももしかするとわかっていないかもしれません。
でもそんなわたしたちのために、イエス様は十字架にかかって、死なれたのです。そして「彼らを許してください、彼らは何もわかっていないのです。」(ルカ23:24)といわれました。
神に許された私たちはどう生きますか
悪いことをした人を恨んでいきますか
かかわりを持たないで、一人で生きますか
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